須知 誉(ほまれ)君です
須知 誉(ほまれ)です
成長記録
生年月日 平成19年6月15日
出生体重・身長 3,006g、48.6cm
生後6日目 退院時より体重が減ったことから、一週間ごとの病院での体重チェックになる。
生後1ヵ月 3,718gまで増えたことで、どうにか体重のフォローが終わる。
2ヵ月検診 頭囲が小さいことと、体重の増加が少ないことで再度1歳まで要観察。
3〜4ヵ月検診 首がなんとかすわる。運動機能に問題なし。寝返りも成功!
6〜7ヵ月 離乳食が2回食。食後吐いてしまうことも時折。お座りもするが、コテッとよく倒れる。
8ヵ月検診 体重6,550g、身長64cm。ハイハイ、つかまり立ちまだできず。
1歳検診 体重7,120g、身長69.1cm。ずりばいとつかまり立ちができた。つたい歩きは1,2歩。
1歳半検診 1歳半で歩かず、体重も少ないので、小児科を受診するように保健センターから言われる。
1歳9か月検診 小児科で栄養状態を指導され、宮城県立こども病院を紹介される。

専門分野での検査から診断まで
 2歳を前にして本格的な検査がはじまりました。2歳になるころにはふらふらしながらも10秒程立つことが出来るようになり、とてもゆっくりですが2,3歩歩くようになってきました。ただ体は同年代の子に比べればかなり小さく、成長ホルモンの検査をすることになりました。検査結果は、異状なし!ホッとした反面、痩せている体に対して治療法がないことが少しがっかりしたのを覚えています。
 それからしばらく経過観察が続いていると、誉が頭を触ることが多くなりました。まだ言葉が出ていないので、「痛いの?」と聞いても「・・・・。」の状態。とりあえず主治医の先生に話してCTを撮ることに。そこで脳内の基底核の部分に石灰化があることがわかりました。そこからMRIを撮り、石灰化以外に特に問題はないとのことでしたが、耳鼻科、眼科を受診。耳が少し難聴気味であること、目が遠視であることがわかりました。
言葉もまだ出ていないことから、歯科を受診。いろいろな所にちょっとずつ問題があり、診察も治療というより、基本は経過観察。診察の科だけがどんどん増えるだけではっきりとした診断もなく、発達を促すために療育を受けるなど、精神的に私も誉もきつい日々が続きました。「なんだか分からないけど、あなたのお子さんには障害があるのよ。」と言われている気がして、主治医から行くように勧められた発達支援センターも行きたくなく、外を散歩すれば二歳下の弟と双子と言われ、それを否定することもなく、家に帰ってから誉に「ごめんね。」と何度も謝ったのを思い出します。
そんな日々が1年半程続き、私は『ゆっくりだけど少しずつ成長しているから大丈夫!』と前向きに考えられるようになってきました。
そんなころ心配した親戚の方から成育医療センターの事を聞き、セカンドオピニオンで診察を受けることに。私は、またどうせ「発達遅滞かな?」くらいの話だろうと、気軽に先生の話を聞いていると「コケイン症候群です。」と言われ頭が真っ白になりました。

診断後の生活
 診断直後は涙が溢れて先生の話も頭に入らない状態でしたが、夜になると誉の寝顔がなんとも可愛らしく、少し落ち着いて現実を受け入れられるようになりました。
一晩で気持ちを落ち着かせることが出来たのには理由があります。
私たちは診断を受ける約1ヶ月前に、宮城県で震災にあいました。誉と私は診察の帰り道に津波に遭い、弟は私の実家がある宮城県の女川で両親と一緒にいて、主人は仕事で仙台とみんなバラバラなところにいました。幸い命は助かったものの、家族が会えたのが1週間後。この時命を落としていたかもしれないと考えると、誉の寿命が人より短いものであっても、私たちにとっては『もうちょっと生きていいんだよ。』と言われた気がして、前を向いていくことが出来ました。
現在、小学校に入学した誉は、地域の支援学級に元気に通学しています。
体重は9.5sとここ2年程伸び悩んでいますがPCW(ウォーカー)を使用して歩行が可能になりました。
誉の将来は生まれたときに思い描いていたものとはだいぶ変わってしまいましたが、それでも彼は毎日楽しそうに、過ごしています。生活の中で成長とともに納得のいかない事もたくさんあると思いますが、彼の笑顔には不自由な体で生きていくことへの後悔は、微塵も感じさせません。そのことが私たちにとっては誇りであり、救いでもあります。
これからも家族に時間を大切にして、誉が1日でも長く笑顔でいられるように生活していきたいと思います。
            母  須知 富美